医療事故の原因究明・再発防止と損害賠償

 少し前になりますが、2016年8月27日の読売新聞の記事からです。
 URL https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160827-OYTET50000/

 医療事故遺族を「遺賊」・・・医療安全学会代議員が講演

  医療事故の遺族を「遺賊」と表現した学会講演が波紋を呼んでいる。参加者らの指摘を受けた日本医療安全学会は、「発言は不適切」とする声明を学会のサイトに公開した。こうした表現について、遺族らは「医療事故被害者への偏見につながる」と懸念している。

 関係者によると、問題の発言があったのは、同学会が今年3月に東京都内で開いた学術集会の講演。登壇した男性は「遺賊が求めているのは金と、医師・看護師への処罰であって、原因究明や再発防止は関係ない」などと話し、スライドにも同様の表現があったという。

 学会、「不適切であり、容認しない」と声明文をサイトに掲載

 「賊」は犯罪者を思わせる表現だとして、複数の参加者が発言内容を問題視。指摘を受けた会員有志が今月、対応を求める文書を同学会の理事長に提出した。学会は理事会で協議し、発言に対し、「社会へ貢献する民主的な良識の学術団体としては不適切であり、容認しない」とする声明文を26日、サイトに掲載した。

 発言したとされる男性は取材に対し、「いわゆるモンスターペイシェント(理不尽な要求を繰り返す患者)を指したもので、現実にそういう人はいる。不適切な発言とは思っていない」と話した。学会のサイトによると、男性は代議員として名を連ねている。

 医療事故の遺族で、患者と医療者の対話を促すNPO法人「架け橋」副理事長の川田綾子さんは講演の場に居合わせたといい、「医療事故の遺族を面白おかしく表現した言葉に場が笑いに包まれ、ショックでいたたまれなかった。学術的な場で使われる表現として疑問に思う」と話している。

 この記事の中に出てくる日本医療安全学会の声明文は、同学会のサイトで公開されており、内容は次のとおりです。
 URL http://www.jpscs.org/member/2016Sep26Notice.pdf

2016年8月26日付
一般社団法人日本医療安全学会理事会決議の声明文
 学会発表における不適切発言について
 最近、本学会の役員が「医療事故に遭われた遺族(賊)が求めているものは金と、医師・看護師への処罰であって、原因究明や再発防止は関係ない」との趣旨の問題発言を学術集会などの公衆の場で行っている、との指摘が学会の内外から届けられました。
 本学会の理事会として、この発言はごく一部の活動事例を極端に全体へ歪曲したものでありであり、社会へ貢献する民主的な良識の学術団体としては不適切であり、容認しない、との結論に至りました。

 日本医療安全学会が2016年3月に東京都内で開いた学術集会とは、東京大学本郷キャンパスで行われた「第2回日本医療安全学会学術総会」のことです。

 「医療安全文化と医療安全ガバナンスの向上 -事故死亡ゼロ社会を目指して。質向上とリスク科学の立場から-」というテーマで開かれた集会で、「後援」として、厚生労働省、東京都、日本医師会、日本看護協会、日本薬剤師会、その他多数の団体が表示されています。
  URL http://jpscs.org/2ndJPSCS/program.pdf

 医療法の一部改正により、平成27年(2015年)10月1日から医療事故調査・報告制度が開始されていることからも分かるように、「医療安全」すなわち「医療事故の原因究明と再発防止」は国民的合意事項です。

 そのような事項について議論する場で、医療事故の遺族を「遺賊」と呼び、「遺賊が求めているのは金と、医師・看護師への処罰であって、原因究明や再発防止は関係ない」と揶揄する理由は、何でしょうか?

 発言した方は、新聞社からの取材に対し、「いわゆるモンスターペイシェント(理不尽な要求を繰り返す患者)を指したもの」と言っており、そうすると、「モンスターペイシェントが求めているのは金と、医師・看護師への処罰であって、原因究明や再発防止は関係ない」と言うつもりだったということになります。
 
 しかし、仮にそうだったとしても、ごく一部の「モンスターペイシェント」の例を持ち出すことが、医療事故の原因究明や再発防止の議論にどのように関係するのでしょうか?

 医療事故が発生した場合に、その原因を究明し再発を防止することは、将来に向けての改善・向上にあたります。
 また、医療事故が不適切な医療行為によって発生した場合に、患者が被った損害を賠償することは、法律に則った過去の清算にあたります。医師賠償責任保険という、そのための仕組みも用意されています。
 将来に向けての改善・向上と過去の清算は、どちらも必要なことであり、上位・下位の関係にはないはずです。どちらか一方を犠牲にしてよいということにもなりません。

 それにもかかわらず、「○○が求めているのは金」と揶揄する発言が出てくるのは、将来に向けての改善・向上を上位に置き、過去の清算を下位に置こうとする意識が、発言者の方にあるからではないでしょうか。

 医療従事者にとって、将来に向けた医療の改善・向上は、多くの患者の生命を守ることにつながるため、医学的探究の対象となり、学術的価値が認められます。しかし、被害を受けた患者や遺族との間における賠償や処罰感情といった問題は、当該患者や当該遺族との個別の問題であり、医療の改善・向上のような広がりはありません。

 そのため、医療従事者にとっては、将来に向けた医療の改善・向上には価値を感じるものの、被害を受けた患者に対する清算には価値を感じられないのかもしれません。

 しかも、医療事故が不適切な医療行為によって発生した場合に、患者が被った損害を賠償することは、医療従事者の責任が問われる問題でもあります。その医療行為を行った医療従事者にとっては、気持ちのよいことではありません。

 「遺賊が求めているのは金と、医師・看護師への処罰であって、原因究明や再発防止は関係ない」という発言は、医療従事者のこのような心理に依拠してウケを狙った暴論なのではないかと思います。出席なさっていた方が、その場が笑いに包まれたと言っておられるのは、実際かなりウケたということなのでしょう。

 しかし、それでよいのでしょうか?

  繰り返しになりますが、医療事故が発生した場合に、その原因を究明し再発を防止すること(将来に向けての改善・向上)と、それが不適切な医療行為によって発生している場合に、患者が被った損害を賠償すること(過去の清算)は、どちらも必要なことです。この二つは上位・下位の関係になく、どちらか一方を犠牲にしてよいということにはなりません。

 さらに、もう一つ視点を付け加えるとすれば、ある医療事故を基に、その原因を究明し、再発防止という将来に向けた医療改善策を立てることができるのは、その医療事故の患者の犠牲があったからです。将来の多数の患者の安全のために、その医療事故の患者が生命・身体を提供したということもできます。

 このような視点に立てば、医療事故の原因究明や再発防止の議論を行う場で、医療事故の患者の家族を貶めるような発言は出てこないはずです。
 
 さて、日本医療安全学会のサイトには、今年(2017年)3月の「第3回日本医療安全学会学術総会」に関する情報が告知されています。テーマは、「完璧に安全な世界を目指して - 医療安全を質と量から向上する -多職種・学際による連携の構築」だそうです。
    URL http://jpscs.org/3rdJPSCS/

 「遺賊」という発言をした方は(日本医療安全学会の役員だそうです)、今年も登壇なさるのでしょうか?
 この方は、新聞社からの取材に対し、「不適切な発言とは思っていない」と話したそうですが、もし今年も登壇した場合、また同様の発言をなさるのでしょうか?
 それとも、日本医療安全学会理事会から「社会へ貢献する民主的な良識の学術団体としては不適切であり、容認しない」と言われたことを受けて、軌道修正なさるのでしょうか?